人に支えられて45周年、今こそものづくり工場としての強みを活かす【西日本アルミ建材株式会社】
【インタビュアー】オフィススギヤマ 市村 芳
36歳で社長就任
きっかけはなんとなく、でも負けるわけにはいかなかった
当社は昭和55年に私の父である先代社長がアルミサッシの製作・販売・施工業として創業しました。
父の背中を見て育った私ですが、父と一緒に会社を盛り立てて将来的には後を継ぐ、と決めたのは大学卒業直前くらいだったと思います。
明確なきっかけがあったわけではありませんでした。
言ってしまえば「なんとなく」。苦笑
せっかく親がこうして事業をしているので、継いだ方がいいのかな、という軽い考えでした。
宮崎を離れ大学に進学しましたが、工学部建築学科の卒業をひかえ、
さて就職先はどうしようかという時に、父が独立前に勤めていたビル用サッシなどの製造販売施工事業を営む大手メーカーに就職が決まり、いずれは地元で家業を継ぐことを意識して仕事に取り組みました。
平成元年入社で、当時はバブル後期。
メーカーにとっても厳しい時代の始まりで、結構な激務でした。
当時はパソコンも普及しておらず全て紙に手書きでしたので、とにかく時間いっぱい働いて気合と根性で他の人よりも量をこなす。そもそも望んでいようがいまいが、上司からどんどん仕事が降ってくる。これでは体がもたないよね、というくらい働きました。
そして何か失敗すれば脱落して会社からいなくなるような、そういう風な時代でした。
「私はここで勉強して実家に帰って家業を継ぐんだ」
「あの会社の息子か、仕事もちゃんとできるんだな、と思わせたい」
「だから負けるわけにはいかない」
その想いがあったからこそあの厳しい環境で約5年間、頑張り抜くことができました。
父は74歳で他界しましたが、60代で既に体調に不安がありました。
まだ元気なうちに引き継ごうという話になり、私が36歳のときに社長に就任しました。
父の背中を見て育った私ですが、父と一緒に会社を盛り立てて将来的には後を継ぐ、と決めたのは大学卒業直前くらいだったと思います。
明確なきっかけがあったわけではありませんでした。
言ってしまえば「なんとなく」。苦笑
せっかく親がこうして事業をしているので、継いだ方がいいのかな、という軽い考えでした。
宮崎を離れ大学に進学しましたが、工学部建築学科の卒業をひかえ、
さて就職先はどうしようかという時に、父が独立前に勤めていたビル用サッシなどの製造販売施工事業を営む大手メーカーに就職が決まり、いずれは地元で家業を継ぐことを意識して仕事に取り組みました。
平成元年入社で、当時はバブル後期。
メーカーにとっても厳しい時代の始まりで、結構な激務でした。
当時はパソコンも普及しておらず全て紙に手書きでしたので、とにかく時間いっぱい働いて気合と根性で他の人よりも量をこなす。そもそも望んでいようがいまいが、上司からどんどん仕事が降ってくる。これでは体がもたないよね、というくらい働きました。
そして何か失敗すれば脱落して会社からいなくなるような、そういう風な時代でした。
「私はここで勉強して実家に帰って家業を継ぐんだ」
「あの会社の息子か、仕事もちゃんとできるんだな、と思わせたい」
「だから負けるわけにはいかない」
その想いがあったからこそあの厳しい環境で約5年間、頑張り抜くことができました。
父は74歳で他界しましたが、60代で既に体調に不安がありました。
まだ元気なうちに引き継ごうという話になり、私が36歳のときに社長に就任しました。
人と人とが膝を突き合わせて話す
特に意識していたのはコミュニケーション
昨今は、技術の進歩によって本当に効率良く仕事ができるようになっているなと感じます。
私がメーカーに勤めていた時代は、図面はすべて手書き。それをお客様に送るにしても、コピーして製本して郵送したり手渡ししたり。
当時はそうするしかなかったわけですが、今はメールやデータで簡単にどこにいてもやりとりができる時代。効率という意味では本当に大きな変化ですよね。
一方で、どんなに便利になっても昔から変わらないものもあると思っています。
それは、
-------
人と人が膝を突き合わせて話をすること
-------
の重要性です。
多くの仕事がオンラインでもできるようになりましたが、やはり価格交渉など、相手の視線や動作を見て考えながら話をする場面では、時間をかけてでも直接会って話をする、ということの重要性は変わらないなと改めて感じています。
メーカーを退職して、父の会社に社員として入社したあとは、現場の設計兼施工管理が主な業務でした。
建築や建具など3次元の話になると、どうしても相手と自分の頭の中のイメージに食い違い生じるんですよね。
そういったときに、対面で話すことで解決することがやはりあります。
当時私が仕事をするうえで特に意識していたことは、
・現場監督さんとのコミュニケーション
・周辺設備の協力業者さんとのコミュニケーション
当たり前ですが、建物には工期がありそこに間に合うようにいろんな業者さんが関わっています。
特にスケジュールの部分での連携が欠かせないません。現場の工程の狂いが少なくなるように、とにかくコミュニケーションをしっかり取ることをとても意識していました。
私がメーカーに勤めていた時代は、図面はすべて手書き。それをお客様に送るにしても、コピーして製本して郵送したり手渡ししたり。
当時はそうするしかなかったわけですが、今はメールやデータで簡単にどこにいてもやりとりができる時代。効率という意味では本当に大きな変化ですよね。
一方で、どんなに便利になっても昔から変わらないものもあると思っています。
それは、
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人と人が膝を突き合わせて話をすること
-------
の重要性です。
多くの仕事がオンラインでもできるようになりましたが、やはり価格交渉など、相手の視線や動作を見て考えながら話をする場面では、時間をかけてでも直接会って話をする、ということの重要性は変わらないなと改めて感じています。
メーカーを退職して、父の会社に社員として入社したあとは、現場の設計兼施工管理が主な業務でした。
建築や建具など3次元の話になると、どうしても相手と自分の頭の中のイメージに食い違い生じるんですよね。
そういったときに、対面で話すことで解決することがやはりあります。
当時私が仕事をするうえで特に意識していたことは、
・現場監督さんとのコミュニケーション
・周辺設備の協力業者さんとのコミュニケーション
当たり前ですが、建物には工期がありそこに間に合うようにいろんな業者さんが関わっています。
特にスケジュールの部分での連携が欠かせないません。現場の工程の狂いが少なくなるように、とにかくコミュニケーションをしっかり取ることをとても意識していました。
仕事を一所懸命にやっているから失敗する
何もしていなければ失敗もしない
一所懸命にやって失敗した、上手くいかなかった、それは私にとっては失敗のうちに入りません。
頑張った中での失敗なら、その経験が勉強になる、経験になる、スキルアップして必ず次につながる。そういう失敗は何もこわいものはありません。失敗しても、次はこうすればいいよね、と分かればそれが成長につながります。
かく言う私もそういう風にいっぱい失敗して成長させてもらいました。苦笑
だから社員の失敗も「うんうん、そうだよね」って、「あ、それは俺も間違えるわ」って普通に言います。
最終的な責任はすべて社長である私にあります。
同じ失敗を何度も繰り返すのは良くないけれど、失敗を恐れて何もしないのが一番こわい。
私はこの仕事を35年間しているので、こうしたら失敗する、とか逆に上手くいくとか、ノウハウがありますが、若い社員はそうじゃない。
だからこそ、失敗を隠すことなく、起こったことをちゃんと教えてもらって一緒に対策を考える、これができる雰囲気づくりは意識しています。
早めに教えてもらえれば、対策の選択肢も広がります。
一緒に考えて、どうしてもうまくいかない時は私が出るから、と伝えてまずは社員に動いてもらいます。最初から私が出てしまうと社員の成長の機会を奪うことになりますから。
失敗して修正して克服することで、逆にお客様ともより仲が深まる、記憶に残る、そんな経験が私にもたくさんあります。その時に思うのは、逃げてはいけない、ということ。失敗を正面から受け止めて突き進んでいくと、なんだかんだ解決できる。ここに人間関係が生まれて、長い付き合いになることもある。
だから逆に社員の失敗を聞くと「おお!がんばってるな!」と嬉しい気持ちになるんです。
頑張った中での失敗なら、その経験が勉強になる、経験になる、スキルアップして必ず次につながる。そういう失敗は何もこわいものはありません。失敗しても、次はこうすればいいよね、と分かればそれが成長につながります。
かく言う私もそういう風にいっぱい失敗して成長させてもらいました。苦笑
だから社員の失敗も「うんうん、そうだよね」って、「あ、それは俺も間違えるわ」って普通に言います。
最終的な責任はすべて社長である私にあります。
同じ失敗を何度も繰り返すのは良くないけれど、失敗を恐れて何もしないのが一番こわい。
私はこの仕事を35年間しているので、こうしたら失敗する、とか逆に上手くいくとか、ノウハウがありますが、若い社員はそうじゃない。
だからこそ、失敗を隠すことなく、起こったことをちゃんと教えてもらって一緒に対策を考える、これができる雰囲気づくりは意識しています。
早めに教えてもらえれば、対策の選択肢も広がります。
一緒に考えて、どうしてもうまくいかない時は私が出るから、と伝えてまずは社員に動いてもらいます。最初から私が出てしまうと社員の成長の機会を奪うことになりますから。
失敗して修正して克服することで、逆にお客様ともより仲が深まる、記憶に残る、そんな経験が私にもたくさんあります。その時に思うのは、逃げてはいけない、ということ。失敗を正面から受け止めて突き進んでいくと、なんだかんだ解決できる。ここに人間関係が生まれて、長い付き合いになることもある。
だから逆に社員の失敗を聞くと「おお!がんばってるな!」と嬉しい気持ちになるんです。
会社情報
会社名略称. | 西日本アルミ建材 |
---|---|
勤務先名 | 西日本アルミ建材株式会社 |
会社名 | 西日本アルミ建材株式会社 |
理念・使命 | 1.お客様第一の信念に徹し、社業を通じて社会の進歩に貢献する。 2.サービスや品質を通じて縁を広げ、縁のある全ての人に対する責任を果たす。 3.人から学び、人を育て、人によって育てられる。 |
会社名 | 宮崎県宮崎市新名爪谷廻4090番地17 |
代表者名 | 代表取締役 松下 良 |
失敗談・成功談 | 30年以上前の話ですが、今でも鮮明に覚えていて忘れられない失敗があります。 メーカー入社2年目で大きな公団住宅の仕事を担当したのですが、網戸は不要と言われていたのに、網戸を誤って発注してしまったんですね。 公団住宅の仕事で網戸は入れないというのは業界の常識ですが、当時の私は知らなくて…。 上司も忙しかったんですよね。チェックもスルーしてしまって、何百枚の網戸が納品されることがわかっているけれども行き場がない、という悲惨な状況でした。 金額も大きく、私がこんなミスをして何百万円の損害を出したということがいずれ社内に張り出されることが分かっているわけですよ。 もう慌てて、どうしようかどうしようか、と。 上司にも相談できずに一晩考えに考えて、たどり着いた策は「行商」でした。 すぐに大手ゼネコンの現場責任者である所長さんのところに行って、経緯を説明し「すべて自分のミスだから、公団住宅が竣工して入居後に一軒一軒まわって行商させてほしい」と頼み込んだんです。 所長さんと私は親子ほど歳が離れていましたし、二十歳そこそこの若造が真っ青な顔してお願いに来たから、可哀そうに思ったのかもしれません。 「わかった。そこまでいうなら、一度公団に話してみるからちょっと待ってろ」と言って、実際に公団住宅側に相談に行ってくださり、結果、公団住宅が全て買い取ってくれるという異例の回答で話をつけてきてくれました。 本当に神様に見えました。すぐにお礼を言いに現場に行きました。 その所長さんとはそこから仲良くなって、食事にも連れて行ってくださり、本当に良くしていただきました。 後々聞いたら、「まさか一軒一軒行商するなんて言い出すとは思ってなかった」と(苦笑)。 こんな大失敗をやらかしたわけですが、そこから身をもって学んだことは、 立ち止まるのではなく、前に進んでなんとかしようと考えに考え抜いて動くことが大事なんだなと、ということでした。 そしてあの時は、誰かの助けを期待して行商の話をしたわけでは全くありませんでしたが、幸運にも共感してくれて手を差し伸べてくれる人が出てきてくれたときは、やっぱり”人”だなと思いましたね。 所長さんにはいくら感謝しても足りません。 |
3年後ー5年後の目標 | 今までメーカーに依頼していたものを内製化することにチャレンジしています。 昨年、ものづくり補助金で新たな機械を導入しました。 この機械の導入により、熟練の職人さんしつくれないものや、熟練の職人さんでも時間がかかるものを機械で製造できるようになりました。 かつての限られた品種を大量生産する時代から、ニーズに合わせて小ロットで多品種を製造する時代に変化しました。 中小企業がこれに対応しようとすると金型などの設備投資が膨らみ、製造しても利益が確保できず、自社で製造できるものがどんどん減り、メーカー依存度が高くなっていました。 この度の機械導入は、少量多品種にも対応できる工場にするためです。 これによりメーカー純正品の製造依頼を受けることができるため、ものづくりの分野での仕事の幅がひろがります。 今は少しずつ製作実績ができてきたことで、販路がひろがりつつあります。 やはりこれは長年ものづくりに携わってきた当社の強みです。 例えば公共事業などの建築工事は毎年3月が区切りで、4月5月6月がどうしても閑散期になってしまいます。 その時期をものづくりに充てて、宮崎県外からの製造依頼にも対応していくような体制を整えています。 |
新規事業・チャレンジしたいこと | これまでもそうでしたが、令和になって益々時代の流れの速さを感じます。 どうにかこの流れについていこうとしてきましたが、いよいよ自分たちの世代では難しさを感じざるを得ない状況にきていて、それであればせめてより良い形で若い世代にバトンを渡せるように整えていきたい、そういう想いが強いですね。 あまり綺麗ごと言うのは好きじゃないんだけど、やっぱりね、自分一人ではなにもできないんですよ。 今こうして仕事ができるのは、周りの方々のおかげ。 心からそう思いますね。 だからこそ、若い人が一度は宮崎を離れても、帰って来たいと思ったときに魅力のある仕事ができるように、経営者として環境をつくっていきたい。そうすることで少しでも宮崎が元気になったらいい。自分の会社が元気になって、地域活性化につながれば、そんな嬉しいことはありません。 |
こんな人に会いたい | うちは小さい会社で年功序列ではないので、新しいことにどんどんチャレンジしたいという方や、若くてもリーダーシップがあって段取り良く仕事ができる方に対しては、もちろん報酬もしっかり出しますし、得意なことやりたいことをどんどん伸ばせる雰囲気づくりは意識しています。 一方で、どんなに能力がある人でも一人でできることは限られています。 やはりチームワークが大切。 仕事を取ってくる人、図面を書く人、現場で管理する人、現場で取り付ける人もいる、どれかひとつが欠けても仕事は回らない、そこを上手くコミュニケーションを取って回してくれるような人、そこにやりがいを持って取り組める人に会いたいですね。 |
事業内容 | 金属製鋼製建具工事業(アルミサッシなど) |
応募の流れ | 当社にご興味のある方は、自社採用サイトからご応募ください。 自社採用サイトURL https://www.nishi-arumi-saiyo.com/ |
採用定着士の事務所名 | オフィススギヤマグループ |
採用定着士の氏名 | 市村 芳 |
取材者情報
今回の社長へのインタビュアーのご紹介です。
「話を聞きたい!」からお問い合わせを頂いた場合は運営会社の株式会社イイネ人材サービスを通して、各インタビュアー者よりご連絡させて頂きます。
事務所名 | 【インタビュアー】オフィススギヤマ 市村 芳 |
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住所 | 宮崎県宮崎市佐土原町下田島20034番地 |
事務所HP | https://office-sugiyama.jp/ |
企業のセールスポイント | クライアントの明るい未来の実現を、人軸(ひとじく)からコミットしています。 Special Thanks !:インターンシップ生の大隣雪乃さん 2022年9月にインターンシップに参加くださり、社長タイムズインタビューおよび原稿作成に多大なるご協力を賜りました。 この場を借りて、御礼申し上げます。 |
大切にしている考え方 | 立ち止まらずに、ポジティブに第一歩を踏み出しましょう。 |
事務所からのメッセージ | 利益が出ているのなら、税金を払うよりも、未来への人材投資(採用・教育)に使いましょう。利益が出ていないのであれば、利益を出してくれるコア人材を採用しましょう。 |
従業員数 | 16名 |
保有資格 | 特定社会保険労務士、行政書士など多数 |